今回の話題提供は『高速道路無料化論』の山崎さんの「山崎通信2005.2.18」
”銀行に入れた公的資金は何のため”からです。
ある日突然お金を下ろしに行って呆然とする。預金残高がゼロになっている。何者かが、自分のキャッシュカードを使って、預金を300万円も引き出している。財布の中にはキャッシュカードがちゃんとあるのに。暗証番号もわかりにくいものにしてある。銀行に駆け込むと「やられたんですね。」と言われたきり、すぐには何がおきたのか教えてくれない。しつこく聞くと、コンビニで深夜何十回にもわたって自分の預金が下ろされていた。明らかに自分の預金がとられているのだ。ところが警察に行くと「あなたは被害者ではない。銀行が被害者だ。だからあなたは被害届けも出せない。」と言われる。銀行は自分たちには落度はない、あなたの管理が悪いという。
これはカフカの小説ではありません。こんな不条理劇がいま現在の日本で進んでいるのです。こうしたスキミング、フィッシングの手口は高度化し、ゴルフ場以外にも、銀行のATM上に超小型カメラを仕掛けたり、ネット上での通信傍受や無線を使った傍受で、暗証番号やカード上の情報を調べ、犯行を行う。世界的にこうした犯罪が急増しています。
しかし、世界と日本が違うのは、欧米はもちろん南アフリカでも、法律その他のルールによってこうしたコンピュータ犯罪から預金者を守る責任は銀行にあることです。カード所持者の過失がなかったことが前提となる場合もありますが、ドイツでは引き出されてしまった預金の全額を銀行が戻してくれますし、アメリカでは5,000円程度、イギリスでは10,000円程度を、預金者負担の上限にしているといいます。
こんな理不尽な犯罪から預金者をまったく守らず、責任も取らない金融機関が存在するのは、日本以外の先進国ではないといいます。
日本の銀行は、窓口に来るお客さんの数を減らして人手を減らすために500万円までもカードで引き出せるようにしました。銀行の経営効率化のためです。犯罪者にとってもこんなに効率のいい国はありません。他の先進国では一日の引き出し限度を預金者が決めるところも多いです。加えてそうした国ではこうしたカード犯罪に対しては銀行が保険に入り、仮に被害があっても預金者には迷惑をかけないようにしています。預金者をカード犯罪から守る責任を銀行と国家が負うのは、日本を除く先進国の常識なのです。
金融当局や財界からすらも出た預金者保護の提案は、過去銀行業界につぶされてきたのだと聞いています。がっかりしました。金融担当大臣が先日「カード犯罪への対応は各銀行の判断に任せる。」と会見しました。かつては水俣病、近くはエイズウィルスに汚染された血清の放置、国家の怠慢によって多くの人命が失われました。いまカード犯罪で老後の資金を根こそぎ奪われた人たちに救済もないなんて。いまになってICカードの発行などを銀行が決めていますが、被害者の救済が先決でしょう。
さらにいえば、そんな銀行を救済するために、政府は38兆円もの巨額の公的資金を銀行に投入し、国は銀行の株主になりました。商法をひも解くまでもなく、最大の株主になった日本国政府は、支配株主として銀行経営に権限と責任があるはずです。国民の資金で、銀行や大企業は救済されました。しかし、日本国は、カード犯罪被害者の救済と銀行の責任の確立というグローバル・スタンダードは無視するのでしょうか。銀行の株主である国の社会的責任(CSR)はどこにいったのでしょう。なぜ、金融制度を国民の権利を守るものに変える、と言えないのでしょうか。
かつて、金融ビッグバンという言葉が一世を風靡しました。フリー・フェア・グローバルがビッグバンの三原則のはずで、今の金融行政はその原則に則っていると歴代の金融担当大臣たちは言います。確かにベンチャー企業の上場は増えました。情報公開も進んだといえます。しかし、高度な犯罪から零細な預金者を守ることこそフェアではないのでしょうか。そして、グローバル・スタンダードにかなうのではないでしょうか。それとも、日本は特殊で、救済するのは銀行と大企業だけというのでしょうか。
ビッグバンという言葉がむなしく響きます。これまた他の先進国には例を見ない連帯根保証や中小企業経営者に無理やり求める個人保証によって、中小企業経営者の自殺は最悪を数えています。一般国民の人権を守り、利用者本意の銀行制度に変えたらどうでしょうか。世直しビッグバンがいま必要なのです。それが、何十兆円もの国民の貴重な資金を浪費したここ15年の無残な金融行政のせめてもの罪滅ぼしでしょう。
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