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【江戸1】〜

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【江戸8】 足るを知る―大江戸えころじー事情
◇ハリスは、上陸した下田に滞在中、その印象を次のように書いた。
「この土地は貧困で、住民はいずれも豊かでなく、ただ生活するだけで精一杯で、装飾的なものに目を向ける余裕がない。(中略)それでも人々は楽しく暮らしており、食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。それに、家屋は清潔で、日当たりも良くて気持ちが良い。世界の如何なる地方においても、労働者の社会で下田におけるよりも良い生活を送っているところはあるまい」「私はこれまで、容貌に窮乏をあらわしている一人の人間も見ていない。子どもたちの顔はみな『満月』のように丸々と肥えているし、男女ともすこぶる肉づきがよい。彼らが十分にたべていないと想像することは些かもできない」
 江戸の日本には、「貧乏人はいても貧困はない」といわれた。日常生活のために本当に必要なものはごく僅かだと言うこと。そして、それを見極めて必要なものだけを選んで暮らせば、見かけが質素なわりには生活水準を下げずに暮らせるし、江戸時代の先祖は、きわめて洗練された方法で、それに成功していたと言うことである。つまり、持ち物が少ないこと貧しいとか質素だとか思わず、ごく当たり前に受け止めて満足していたから、のどかに満ち足りて暮らしていかれたのだ。

 仏教の言葉に「足ることを知る者にとってのみ、この世は豊かである」というのがある。仏教では、豊かさは、当人の満足の度合いによって決まると考える。「足ることを知る者にとってのみ、この世は豊かである」というわけだ。

 まさにこの通りであって、欲望が際限なくふくらみ満足を知らない人は、一時的に満ち足りてもすぐに不満になるから、決して豊かになれない。人々の決して満ち足りる事のない欲望を経済成長によって満たそうとしているのが、現在の消費文明なのだ。
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【江戸7】 打てば響く―「江戸しぐさ」の知恵袋より
◇心意気の意気はイキ(粋)。「よし!、それなら私が行って何とかしよう」

▼打てば響く
 太鼓や鉦(かね)をたたくと、すぐに音が出る、つまりすぐに反応があることから江戸っ子の対応の素早さを「江戸しぐさ」では「打てば響く」と表現した。

 「意気合いのしぐさ」に通ずる点も多い。江戸っ子に見習うべきは、人物の評価の仕方。一事が万事ではないが、人間の行いは一事が寄り集まって全体を形成しているから、この人は信用できるか出来ないか、仕事をちゃんとできるか出来ないか、会った瞬間、意気が合うかどうかを見抜く洞察力が要求された。「商人しぐさ」でもっとも大事なのが、この「打てば響く」「意気合いのしぐさ」の有無である。だらだらと時間を費やして交渉するのは、売り手にとっても買い手にとっても時間の無駄と心得ていた。イキは得、野暮は損になる。「江戸しぐさ」が瞬間芸といわれるのはそこだ。

 明治になって外国人たちが横浜の子安に上陸してきたとき、彼らが驚いたのは、江戸の車屋などの職人たちが、外国語のマスターする素早さだった。気くばりのみごとさ、頭の回転の速さに舌を巻いた。指図されなければ動かないのは、野暮天、いなかっぺいなのだ。「打てば響く」は、江戸っ子の心意気でもあり、自慢のタネでもあった。

 心意気の意気はイキ(粋)に通じた。二人以上(複数)の意気は気が合うのイキだ。人間集団になると、江戸のイキは意気投合の意気だと、町衆は考えた。みんなの気が合わなければ仕事もまとまらないし、遊びも面白くない。今なら、たとえば会合で人が集まが悪いと聞くと「それじゃ、私も行かない」となることが多いが、江戸の町衆は違った。

「よし!、それなら私が行って何とかしよう」ということになった。  意気ごみが違った。

PS
 いつのまにか、私たちは、自己決定を放棄して、人の責任、言い訳に終始するようになったのかもしれない。役人的な社会生活者では、何一つ事は決まらない。

 “人物の評価の仕方” “意気ごみが違った。”は、私達が、いま一番学ばなければならない生き方かもしれない。
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【江戸6】 互助、共生の知恵(2)―「江戸しぐさ」の知恵袋より
◇「お互いさま」の心、人みな仏様の化身・・・江戸時代の人々の生きる知恵

今回は、【江戸5】互助、共生の知恵の続きです。

▼人はみな仏の化身と思えば優しくなれる
江戸の人々は、「この世に生きている人間は、みな、仏や先祖に見守られて生きている。だから、お互いに教え合い、助け合い、いたわり合うのが当然」と考えて、日常生活のすべてがこの教えに従って社会が円滑に動いていました。私たちが今ここに在るのは仏や先祖のお陰です。人みな仏様の化身と思えば親近感を覚え、優しい気持ちになれるのではないでしょうか。この優しい気持ちこそ、江戸しぐさへの第一歩です。
▼人として生まれたことに感謝
もし、人でなく鳥に生まれてきたらどうだろう―。虫に生まれてきたら、どうなっていただろう。虫に生まれてきたら、鳥に食べられていたかもしれない。鳥に生まれてきたら、餌の取り合いで、もっと大きな鳥に殺されていたかもしれない。人として生まれてきたことに感謝しなさいと教えました。そうすれば、知らず知らずのうちに、「お互いさま」の心で、人と協力し合えるようになってきはずだ、と言う考え方です。
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【江戸5】 互助、共生の知恵―「江戸しぐさ」の知恵袋より
◇「江戸しぐさ」は商人たちが、繁盛するために、商売をするするうえで支障をきたさないように、いろいろ知恵を絞り、工夫して築き上げた人間関係を円滑にするためのノウハウ、生き方、いわば商人道のことでだ。

▼「江戸しぐさ」では、次の2つの事を強く戒めている。
第一に、いばること。必要以上に偉そうなようすをして見せるのは、品がないとして嫌った。とくに誰から見ても弱者である立場の人に、そうした行動をするのは最下等のことで、弱い人をいたわること、できるだけへりくだることが大事とされていた。

第二に戒めたのは、稚児もどり。今でいえば、例えば駅のホームやバスの停留場で、傘を振り回してゴルフの練習をする人。こうした周囲の迷惑を考えないで幼稚なしぐさをする人とは、大人の付き合いができないとされた。
▼「江戸しぐさ」は互助、共生の精神から生まれた。
この世に生きている人間は、みんな仏さまかやご先祖さまに見守られながら生きている。だから、お互いに教え合い、助け合って、顔を赤らめたりしないですむように、楽しく、明るく、いたわり合って暮らしていこうと言うセンスだ。
▼あいすみません(あい澄みません)
すみませんは「澄みません」と書く。 目の前の人を仏さまの化身と考えた江戸っ子のように澄んだ気持ちになれないと詫びる言葉。
 江戸では初めて会った人に「初めまして」という挨拶はしなかった。それは、我々のご先祖さまたちは、大昔から大の仲良しで、前世から親しかったから「初めまして」といった他人行儀な言葉づかいは、ご先祖さまに申し訳ないという心情の表れ。ご先祖さま同士が親しかったといった心持で相手に接すれば、初対面の人も遠い親戚のような親近感がわいてくる。町衆たちは、「先祖がおせわになりまして」という言い方をした。

越川礼子著<商人道「江戸しぐさ」の知恵袋>
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【江戸4】 日本人の顔には、幸福感があふれていた-江戸宇宙10-1より-
◇欧米が「力の文明」なら、江戸期には「美の文明」があった。生活は質素で、資源循環というエコノミカルな生活スタイルも、外国人の目には美しかった。日本が理想郷にみえた。

 はたして日本人はどれだけ幸せになったのか。―江戸時代に来日した外国人が書いた記録を読むと、そんなことを考えさせられる。17世紀のドイツ人・ケンペル、18世紀のスウェーデン人・ツュンベリー、19世紀のオランダ人・シーボルト…。

 「日本人の顔には、幸福感があふれていたと書いています。冗談好きでよく笑った。親切で陽気な国民にみえた」と評論家の渡辺京二さんは言う。子どもの「天国」で、女性ものびやかであったという。上下関係も親密なものに映った。封建社会の暗い印象とはかけ離れていた。

 「日本の庶民は上流階級のマナーを身につけているとも感心した。『こんな幸せな文明もあるんだな』と彼らは内省する目を持ったのです」

 何より「美」を感じた。田園風景は美しかった。手入れが行き届き、まるで庭園そのものだった。生け垣の見事さには感嘆の声をあげた。江戸は花の都で、大名屋敷やお寺の名園が無数にあった。庭園都市に見えた。

 渡辺氏は言う。「生活の中にも美がある。茶碗や手ぬぐいなど、日常の道具も趣味が洗練されている。簡素な暮らしの中に、一輪ざしの花がある。社会の上から下まで美を求め、実現していると彼らの目に映ったわけです」

 ロンドン大学のタイモン・スクリーチ助教授も「外国人たちは江戸を『西欧に匹敵する国だ』と見た」と指摘する。美術史の観点から江戸期の海外交流の深さを調べ、「鎖国」という閉ざされたイメージの江戸像を打ち破っている学者である。

 「最高の誉め言葉です。日本を見下さなかった。西欧とは全く異質の文明国と思った」 欧米が「力の文明」なら、江戸期には「美の文明」があった。―国際日本文化研究センターの川勝平太教授は、そんな説を唱えている。

 西欧の「力の文明」に対し、江戸は「美の文明」があったと、川勝平太教授は言う。

 「『力の文明』は基準を善と悪に置き、絶対真、科学的真理を追求した。それが自然科学を進歩させ、軍事力への応用をみた」

 一方、江戸は270年間の平和の時代でもあった。武器さえ鉄砲から刀へと退化させた。その刀も武士の美学の象徴で、道徳や学徳を貴ぶ徳治主義が根底にあった。

 「生活は質素で、資源循環というエコノミカルな生活スタイルも、外国人の目には美しかった。日本が理想郷にみえたのです」

 20世紀型の大量生産、大量消費社会が行き詰まっている。現代を覆う閉塞感の根源はそこにある。 「『力の文明』の価値を媒介にしながら、『美の文明』を自覚的に再び作り上げていく時代になったと思う。江戸の文明が現代に生かせるときだ」と川勝教授は提案する。
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【江戸3】 あなたにとっての江戸時代
◇皆さんの『江戸社会』のイメージを、ここらで変えては見ませんか・・・

 「江戸時代と聞いて何を思い浮かべますか」と質問したら、あなたは何と答えるだろう。あまり良いイメージが浮かばない人が多いはずだ。

 切り捨て御免、一揆、飢饉、鎖国、圧政、五人組、士農工商、キリシタン弾圧、徳川家康、狸おやじ・・・まずこんな言葉を思い浮かべるのが平均的日本人だろう。なぜかと言うと、明治以来120年間、学校では江戸時代は悪い時代だと言う教育が一貫して行われてきたらからである。明治新政府は一種のクーデター政権だから、旧政府が悪ければ悪いほど自分たちが正当だったことになる。そのために、過去の時代を一種の暗黒時代のように教えて、欧米を正しいお手本とする方針をとった。

 日本史の教科書も「江戸時代=封建時代=不合理な暗黒時代」と言った感じで編集されていて、当時の人々の具体的な生活水準など問題にもせず、資本主義社会よりさらに前の封建時代など、権力と闘う農民一揆以外は何の価値もない、といわんばかりの調子だった。その結果として、日本人の頭の中には、どうにもならないほど暗い江戸時代のイメージが定着してしまった。

 まるで天国のように言われていた米国や旧社会主義国の実情がこの程度だったことを露骨に見せつけられ、長い間心のよりどころにしていた外国の輝かしい幻想が破れると、さすがにお人好しのわれわれもいささか白けてしまった。最近、江戸時代に関心を抱く人が増えている理由も、外にお手本を失った結果として、自分たちの本来の姿が知りたくなったからだと思えばごく自然な成り行きではないだろうか・・・

「大江戸生活事情」(石川英輔著)より
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【江戸2】 お金以外の価値
◇江戸時代の人々は、金銭抜きに”お互いに何かをあずけ合っていた”のではないかと思う…

 江戸時代の先祖たちは、経済成長率が1%以下の状態で生きていたから、現代的発想では、非常に貧しい生活だった。ところが、当時の庶民生活を具体的に調べてみると、たいしてお金を持っていないのに、われわれが想像するほど生活に困っていたとは思えない。むしろ、普通の生活を常識の目で見る限り、貧しいはずの江戸時代の人々が、あまり貧しそうに見えないのは、不思議なほどである。

 遊びに熱中して、それが稼ぐことより大切なように見えるのは、なぜだろうか。人のために動きまわって、自分の利益をあまり考えないようにも見えるが、貧しいのになぜそれだけ心に余裕があって、しかも、あの輝かしい江戸文化を生み出したほど創造的になれたのだろうか。

 「皆同じように貧しかったからだ」と、合理的に説明する人がいる。確かにそういう面もあるだろうが、単に平等に貧乏だったから、と言うのでは説明しきれない部分が残る。むしろ、お金が万能でなかった、あるいは、お金以外の価値観がいくつも並行してあったからだと言った方が正解のような気がする。

 江戸時代の人々は、金銭抜きに”お互いに何かをあずけ合っていた”のではないかと思う。もし、そこにお金の介在があったら、それは雇用関係であり、”あずけ合う”関係とは言えない。厳密に言えば、仏教用語の<他力>とは、他人に何かをあずけることでなく、自分の中の仏にあずけることだ。宇宙の成り行きに自分をあずけることである。

 他人に何かをやってもらうことを期待するのでなく、成り行きにあずけるだけなのだ。必要とあれば、そこに人の手がさしのべられる。いつの間にか、自分が人を助けることもある。これは、無理に<私有>や<権利、義務>と言う考えを教え込まれたりしなければ、人間にとってはごく自然なバランス感覚なのではないかと思う。

 助け助けられるためには、お互いに相手の様子がわかり合っている、と言うのも大切な条件である。逆に、お金を軸にして展開する現代風の<自力>で<自立>し、<孤立>して生きる生活の基本には、人に見せない秘密の部分がある。それを、今は<プライバシー>と呼んでいる。<私の勝手>とも言う。

 お金が唯一の価値の基準となり、暮らす、食べる、話す、知ると言う生きるために必要なことごとくが、かなりの額のお金なしには出来なくなる。人は生きるために、社会の役割に自分を縛りつけ、それによって何かと生活しようとする。社会や仕事は、人に一定の範囲の行動や考え方を強要するようになり、それで秩序が維持される。

 お金以外にも価値基準がいくつもある社会なら、その中から好きな基準を選んで生きることが出来るが、お金が唯一の価値になれば、その唯一の価値観に合わせられない人は生き方や考え方に不自由を感じるようになる。

 誰でも一度は考える。お金さえうんとあれば、仕事なんてやめてやるのに、と。お金さえあれば、もっと自由になれるのに、と。そして、自由を求めてさらに懸命に働き、さらに不自由になっていく。

それが現代の豊かさなのだ。

出典:「大江戸ボランティア事情」より
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【江戸1】 『江戸しぐさ』に学ぶ知恵-江戸宇宙5-5より-
◇初対面の人に職業や学歴、年齢の三つを聞いてはならない。

 先入観という曇った眼鏡をかければ、人物を見誤ることにつながるからだ。とかく肩書きで人を判断する現代人は、「一流」とされる企業や大学の名前を聞いただけで、あっさりとその人を信用しがちである。
 その点、江戸の商人は、相手に経歴も身分も年齢も問わず、己の観察力や洞察力のみを頼りとした。その方が間違いがなかったからである。 それを『三脱の教え』といいました。

 「しぐさ」は「仕草」ではなく、「思草」と書きます。商人同士や客とのお付き合いの仕方、瞬間的な言葉と身のこなしで、人間関係を良好に保つパフォーマンスのことです。単にマナーの領域だけにとどまらず、商人の生活哲学、いわば商人道でもありました。『江戸講』というネットワークで、口伝の形で伝えられました。

▼江戸しぐさの例を挙げてみよう。
 雨の日に往来ですれ違うとき、お互い傘を外側に傾けることを「傘かしげ」。
人混みですれ違うときも、お互い右肩を引いて、体を斜めにした。これを「肩引き」と言った。相手への配慮の所作である。

では、次はどうだろう。

 「おはようございます」という社員のあいさつに、上司が「おはよう」と答えたら、江戸商人の世界では失格だった。目下の者に対しても、「おはようございます」と同格で応じるのが正しかった。仏様の前ではみな平等と考えていたからだ。

 ハイヤーで送迎を受ける重役も、自宅の前に車を呼んでは失格。もちろん座席でふんぞり返っても失格だ。江戸の町なら駕籠(かご)に乗れる身分になったことに、「おかげさま」という謙虚な気持ちを持って、目的地の少し手前で駕籠を止めたのである。地位の高い人は徳をもって、人に接しなければならない、そんな精神が根底にあります。相手を立てて、一歩譲る心情ですね。共倒れしないための思いやりが基調です。上に立つ人こそ、決して偉ぶった態度をとらなかったのです。
 また、江戸しぐさには「お心肥(しんこやし)」という言葉もある。教養をつけ、人格をみがくことを意味した。 ところが昨今の日本の店先といったらどうだ。米国流の「マニュアル」という化け物が幅を利かせている。ばか丁寧な言葉だけで、店員はまるで応用が利かない。心がない。木で鼻くくる物言いで、かえって客を不愉快にさせている。きっと「お心肥」を知らないのであろう。

 「江戸しぐさ」については越川礼子著<商人道「江戸しぐさ」の知恵袋>をご参照ください。
とても面白い本です。
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